役者の「ボイトレ」

私自身、ボイストレーニングに必要なことをインターネットで検索した結果感じたことですが、

歌に関してのボイストレーニングのことは山ほどあるのに、

役者、声優に必要なボイストレーニングは皆無だということ。


歌い手のボイストレーニングは「歌えること」を目的としていますが、

では役者に必要なボイストレーニングは何を目的としているのか。


声を保つ、声を使うことを鍛える。そういった部分は歌い手のボイストレーニングのものと同じですが、

役者としての「器」を大きくする、もしくは意識的に大きさを変えるためのものだと思います。


たとえば、少年が勇者を目指していたとしたら。その少年が青年に成長していたら。

声の深さも、高さも、度量の大きさも、もちろん目つきも大きく変わることでしょう。

その「器」が「声の響き」と直結するのではないか、と考えています。


つまりは、技術として扱えるだけではなく

心とリンクして「無意識で使う訓練=ボイトレ」となるのではないか、と。


もちろん、響きだけが必要なわけではありません。

響きを度外視した発声、喉の負担を度外視した発声が、心から生み出された言葉であるのなら、

それがキャラクターの欲した音色なのでしょう。

自分の中にいるキャラクター、自分の外側にいるキャラクターに「器」としての「役者」を貸し与える。

キャラクターが生きているからこそ可能なそれは、

自分の器がキャラクターと同じ大きさでなければ成り立たないと思います。


心が、という面もあるでしょう。精神的なものもあるでしょう。

しかし人間という「物体」としての「器」もキャラクターに合わせてやらなければ、

キャラクターが求めている心からの声は引き出せないのではないか、と考えてしまうのです。